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大田臨海部まちづくり協議会 座談会①

磯村会長、東京都議会議員鈴木あきまささん、前大田区議会議員いとう和弘さんに、これまでの活動を振り返っていただく座談会を設けました。
最初に、協議会立ち上げ当初を振り返って、当時の思いを伺いました。


左から伊藤前大田区議会議員、磯村会長、鈴木東京都議会議員

鈴木氏:
あらためて振り返ってみると、大田臨海部まちづくり協議会では、イベント、要請活動など、色々なことをやってきましたね。

私が臨海部に関わらせていただいた当初は、大田市場も含めて、流通形態がすごく変わりつつある時期だった。その関係で全国の市場を視察する中で、もっと観光に目をむけていくべきだと強く思ったんです。

その当時は、市場は業務施設という扱い。業者向けの立地・環境になっていて、見学などの観光施設としては考えられていませんでした。そういうものに目をむけていくべきではないか、という質問を議会でしたりしたのですが、当時は全く見向きもされなかった。流通形態がどんどん変わって、消費者が産地と直接やり取りすることが多くなったら、市場の役割自体もなくなってきてしまうという懸念もあった。そういったことへの対策として、新しい市場の魅力づくりをしていかなくてはならないのではないか、という意見だったのですが、全く反応がなかった。要するに、準備ができていなかったのですね。

私は、この大田臨海部は、大田区の宝であり、色々な意味での開発をすることによって新たな魅力を創造できる唯一のエリアと感じています。ただ、舟に乗って京浜運河から岸を眺めてみると、品川区と大田区では全く違う。大田区にはいると、全く工業地帯の風景になってしまう。伊藤先生も私も、これは違う、と。日本の経済を支えてきた大田の役割はあるけれど、先を見据えて大田臨海部の魅力を再発見・再生して多くの人が来てもらえるエリアにしたいと思っています。これは、大田市場も含めて、工場の方にとっては、当初は「NO」と言われる考え方だった。当初は、外から人が来て、これ以上渋滞したらどうするということで、賛成ではない部分もあったのは確かです。ただ、ここまで10年近くやってきて、臨海部が魅力ある地域であるということは間違っていないと再認識しています。

伊藤氏:
この協議会活動を始めた最初のきっかけは、交通アクセスだった。「路面電車の会」があって、島部の人たちの利便性を高めるために、臨海部に路面電車を走らせよう、というのが最初でした。

磯村会長:
昔は、大森にも路面電車が走ってたんですよ。

伊藤氏:
そう。それを臨海部にもってきたら、島の人たちが働きやすくなるのではないか、ということで、最初3島の人たちのところに行ったら、箸にも棒にもだった。(笑)議員になりたての時期でもあったし、何言ってんだ、みたいな。それでも、通っているうちに話だけなら聞いてもいいよ、ということで年に何回かお邪魔することになって、やるならやれ、という話になって。そのうちに会長さんが代わられたり、島の人たちにも、「あるに越したことはない」ということも言ってもらえるようになったり。

一方で、電車側からすると、朝夕しかお客さんがいないのに、電車を通すことは無理だと。採算がとれない。だったら、通勤以外の需要をつくろう、と。お客さんもつくったら、電車もつくれるんじゃないか、と。そんなことを鈴木先生に相談したら、市場の人にも相談したらどうだろうか、と市場の人につないでくれた。先ほどの話のように、市場だったら、観光の需要もあるんじゃないかということと、市場の仕事がメインで動く時間帯と観光の時間帯はずれているから、お客さんがはいってきても大丈夫なのではないか、と。

磯村会長:
市場の昼は、一仕事終わったかんじですからね。

伊藤氏:
築地の場外のイメージもあったから、大田市場はお客さんを呼ぶポテンシャルはもっていると確信していたし。それで市場の方にも加わっていただいて、今は市場の方が人数的にも中心になってやっていただいているかんじですね。きっかけになった、交通アクセスについては、路面電車という表現ではなくなったけど、今でも、協議会の中の交通部会という形で続いている。自転車ルートの整備や交通渋滞については、色々活動を進めているけれど、これは、未だに解決できていない課題だと思っている。やっぱり、なんとかしていきたいね。

鈴木氏:
やはり、働いている人にとって、より通いやすい環境をつくっていくことは大切。今、協議会が力を入れているのは自転車。自転車がもつ魅力や需要は、ここ20年で本当に変わってきた。だからこそ、国道や都道の法規制はあると思いますが、大田臨海部の中では自転車道を完璧につくりたいですね。

磯村会長:
では、僕も協議会立ち上げの思いを。大森園芸は、日本で最初の鉢物市場で、昭和7年に大森駅のところに開場したんです。それが、駅にバスターミナルをつくるので、北5丁目に移転した。北5丁目消防署と北5丁目市場がすぐそばにあった。


大田市場の全景(高速道路の左奥が花き棟です)

伊藤氏:
ありましたね。

磯村会長:
それが、移転したときには、「大井市場」だったんですよ。大森市場ではなかった。

鈴木氏:
地番が「大井ふ頭その1」、「その2」でしたからね。

磯村会長:
大田区の大森なのに、なんで大井なんだ。と。僕は子どもの頃から大森北にいましたから、ちょうど大森魚市場のところにボート屋があって、ボートに乗って、この辺りに釣りに来ていたんです。そこが埋め立てられて、4つの島になった。そこが「大井」っていうのはどういうことだ、ということで「大田市場」になったんですよ。

そこから、きちんと便利な場所にしなくてはいけない、という思いがあった。鈴木先生がおっしゃったように、あの運河からの眺めは、品川区と比べると楽しさが違う。なぜか、大田区に入ると殺伐としてしまう。これでは、働く人の心まで荒れてしまう。働く人が、働く場所に愛着を持てるようにしたい。せっかく公園など、すばらしい場所があるのに、そこへ行くまでの途中が未整備状態ではしょうがない。働く人たちに、居心地のいい場所で働いている、と思ってもらいたい。

そうすると、交通のアクセス+美化が必要になってくる。住んでいる人がいないと言っても、それは欠かせないことです。そこに、伊藤先生の路面電車のお話や、鈴木先生の観光のお話があって、それがつながった。運河や自然豊かな公園がある臨海部の価値を高めていくことは、働いている人たちにとっても大切なことです。

最近は、島部の工場は、静脈系の業種も増えています。静脈系の仕事は、かつてはあまり良くない仕事とみられていたかもしれませんが、今ではエコな最先端の仕事と言えます。我々もそうですし、臨海部で働く人にもプライドを持ってもらえるようにしていきたい。

鈴木氏:
大田区の松原区長が大田区の「都市づくりビジョン」を作った時も、伊藤先生のお力があったと思うし、我々の協議会も寄与してきたと自負しています。大田区では、「スポーツ健康都市」を打ち上げ、臨海部を一大スポーツゾーンにしようと、水再生センターの運動場の整備を進めたりした。サッカー場やふるはまが整備されて、スポーツとレクリエーション機能ができてきた。これは、伊藤先生のお力があってこそ、実現したものだと思う。

もう一つ、東京都の観点から言えば、3.11の津波の教訓を生かして、防災についてももう一度考えなくてはいけないと思っています。津波対策の一つとして、電源の配置やエネルギーの確保など、市場にとっても、これから改修などのタイミングで考えていくべきことだと思う。


「おおた都市づくりビジョン」(平成29年3月発行)より

事務局:
東京都の視点から言えば、そういった整備は、やはり豊洲がメインになってしまうのでしょうか。

鈴木氏:
今まではそうだったが、豊洲の整備は終わったので、これからは大田ですよ。

磯村会長:
まさにそうなんです。


協議会の立ち上げのきっかけとなった思いについて、それぞれお話いただきました。協議会発足以前から経済・産業との深く広いつながりがあり、必然的に協議会が立ち上げられたことを感じました。

続いては、今後のまちづくりのビジョンについて、お話が盛り上がりました。その②へ続く。


 

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